弟の結婚式

10/24(土)、私の弟(Kくん)の結婚式だった。
弟は、娘の初恋の相手で、二人とも大変仲良しだ。
娘はKくんの結婚式に、ファミリーサポートの方にプレゼントしていただいた
ピンクのドレスを着るのをとても楽しみにしており、クローゼットを覗いては「これは、とっておき♡」「明日、Kくんの結婚式?」などと、ひと月以上前から心待ちにしていた。

23(金)の夜から、主人の運転で実家へ向かった。
到着したのは夜11時過ぎ。興奮している娘は、なかなか寝付かず、深夜2時になってようやく眠った。

翌朝7時。私は妹、叔母とヘアメイクのため、母の友人の店に行った。
娘は私が出かけて間もなく、父に起こされ目を覚ましたようだ。
案外、すんなり起きて、私の帰りを待っていた。早速、着替えて準備完了!!
娘は自分の姿にうっとり見とれて、満足そうだった。やはり女の子だなぁ。

結婚式は、誰のものでも感動する。バージンロードを歩くお嫁さんとお父様。
「ああ、私にも、こんな日があったのよね…」などと、かつての自分を重ねつつ、ぎこちない弟の姿を見つめ、目頭が熱くなった。

披露宴では、弟のお色直しのため一緒に退場するときのエスコート役を仰せつかっていた娘。私の妹と娘がエスコート役として呼ばれ、弟、妹に挟まれ手を繋ぎながら退場していった。やっと弟の側に行けた嬉しさと大役を果たした達成感で、戻ってきた娘は満足そうだった。

お料理もすべて美味しかった。ただ、私は当日ピアノ演奏を頼まれており、それが披露宴の終わりの方だったため、緊張で心からお料理を楽しめなかったのが残念だった。

私の演奏が終わり、次に弟の友人たちによる寸劇が始まった。
弟たちの出会いから結婚に至るまでを演じており、友人が弟のメガネや服装、しぐさを真似するのが可笑しかった。
そして最後に、弟は平井堅の「POP STAR」を歌わされる羽目になった。
その姿は、私たち家族にとっては大変衝撃的なものだった。。。。
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生まれ変わり

先日実家にへ遊びに行ったとき、心拍確認が出来たことを母に話したら、意外なコメントが返ってきた。

母:「あんたのお腹の子、ひょっとしたら、じーさんの生まれ変わりかもよ」

娘の時は、父方の祖母の生まれ変わり説だった。今度は母方の祖父の生まれ変わり説ときたか・・・

母:「あんたが妊娠したって聞いたとき、ピンときたんだよね。じーさん、もう戻ってきたのか~…ってね。」
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娘の予感!?

昨日、娘を保育園へお迎えに行ったときのこと。
クラスを出て、玄関へ向かう途中の廊下を、娘より大きなお兄さんと、ハイハイしている赤ちゃん組の男の子がお母さんと帰り支度をしていた。
突然、娘が驚いたように固まった。「あの赤ちゃん!!」と言って指を差している。「何?あの黄色い服着たあかちゃんのこと?」と尋ねると
「そう!きいろの!・・・あの子、ママの赤ちゃん!?もう出て来ちゃったの?」
と本気で慌てている。 “娘の予感!?” の続きを読む

子どもと初めてのスケート

先週の日曜日、3歳の娘をスケートに連れて行った。お天気の良い日曜日。明治神宮外苑のアイススケート場へ、ちょっと時間はかかるが、散歩がてらのんびり歩いて行った。娘は「スケート」が何なのか、全く分からないくせに「スケートいくー!!」と張り切っていた。

私はスケートなど小学生以来だし、その頃だって大して滑れなかったので、どうなってしまうのだろうとやや不安だった。夫も中学生以来だというが、彼の方が確実に上手なはずなので、全て任せることにした。

スケート靴もレンタルできる。子ども用のサイズもあって、娘の足にぴったりの16cmを借りられた。靴を履き、手袋をして、いざリンクへ向かう。スケートリンクに立つ以前に、娘はスケート靴を履いたまま歩けるのだろうかと心配していたが、意外と平気で、手をつなぎながら、スタスタと歩いていた。

スケートリンクに続く扉を開けたとたん、冷んやりした空気に包まれた。目の前は、真っ白な氷の世界。すでに多くの人たちがスケートを楽しんでいた。一般客に混ざって、リンクの所々でスケート教室の生徒たちが熱心に練習したり、フィギュアスケートのコスチュームを着た熟年男女がペアの練習をしたり、自らの技を磨くべく、優雅に滑っている。様々なレベルの人たちが、同じスケートリンクで滑っているのがとても面白かった。

いよいよ、私たちもスケートリンクに降り立った。娘はしばらく固まっていたが、夫に身体を支えられながら、氷の滑る感触を楽しんでいる様に見えた。
一方、私は怖くて手すりにつかまったまま、壁にへばりついていた。滑り方など、とっくに忘れている。手を離して立っているのがやっとで、ちっとも進める気がしない。当てにしていた夫は娘に付きっきりだし、ここは一人でなんとかしなければならないのだが。。。。 “子どもと初めてのスケート” の続きを読む

娘の言い訳

娘のおもちゃが大変な量になっている。
アンパンマンが大好きだった頃、集めていた小さなプラスティック製の人形が半端ない量だし、その他ぬいぐるみや機械系のおもちゃ、お風呂用のおもちゃ等、よくここまで集めたなというくらいに溢れている。

これらは親が買い与えたのではなく、祖父母や私の友人、知人から戴いたものがほとんどで、特に私の実家の人間(両親、弟、妹)に買ってもらう機会が多い。たまに実家へ行くと、それぞれが娘の言いなりになって、色々な物を買おうとするのだ。「また買ってもらったの!?」と何度言ったことだろうか。

赤ちゃん用のおもちゃは整理し、1歳児のいるいとこの家に譲ったのだが、それでもまだまだすっきりしない。
そんなある日、娘と一緒にお風呂に入っていたとき、遊んでいたお風呂のおもちゃを片付けるように注意した。
すると娘は「ママがかたづけて!」としれっと言った。私はもちろん「嫌だよ、だって○○が遊んだんでしょ、自分で片付けな」と再度片付けるように注意したが、断固拒否。なので「じゃあ捨てちゃってもいいのね?もう捨てるよ!いいの?」と今まで通りのパターンで脅した。以前はこれで最終的には言う事を聞いていたのだが、この日はなんと、こう言ってのけた。 “娘の言い訳” の続きを読む

娘@3歳、近況報告 Part1

娘は誰に似たのか、知らない人に対してとても愛想がよい。赤ちゃんの頃から人見知りをしない子で、預ける際に困ることはなかった。普段でも、スーパーやエレベーター、病院の待合室で一緒になった人々にニコッと満面の笑顔を向け、自分の持ち物を見せたり、手を振っているような子だ。

先日、法事のため実家に行ったが、特急電車内で近くに座っていたおじさんたちに愛想を振りまき、ぺらぺらと話しかけ、挙げ句の果てには、おじさんのひざに座って、おじさんのメタボなおなかまで触って遊んでいた。あまりにも他人に警戒心を持たないので、いつか誘拐されるのではないかと心配になるほどだ。 “娘@3歳、近況報告 Part1” の続きを読む

知命

『知命』

茨木 のり子

他(ほか)のひとがやってきて
この小包みの紐 どうしたら
ほどけるかしらと言う

他のひとがやってきては
こんがらがった糸の束
なんとかしてよ と言う

鋏(はさみ)で切れいと進言(しんげん)するが
肯(がえ)んじない 
仕方なく手伝う もそもそと

生きているよしみに
こういうのが生きてるってことの
おおよそか それにしてもあんまりな

まきこまれ
ふりまわされ
くたびれはてて

ある日 卒然と悟らされる
もしかしたらたぶんそう
沢山のやさしい手が添えられたのだ

一人で処理してきたと思っている
わたくしの幾つかの結節点(けっせつてん)にも
今日までそれと気づかせぬほどのさりげなさで

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汲む-Y.Yに-

『汲む-Y.Yに-』

茨木 のり子

大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞いの美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても 咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと・・・・・・・・
わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです
 

この詩を読んで、強ばった心がフッと軽くなる思いがした。ふんわりと包み込まれたような、何とも言えない安堵感だ。

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自分の感受性くらい

茨木のり子さんの詩。私の尊敬し、信頼するピアノの先生に教えていただいた。
今の自分にとって、宝物のような言葉だ。

 

「自分の感受性くらい」

茨木 のり子

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近隣のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ 


この先、きっと何度もこの詩から、さまざまなを何かを感じるだろう。
愚かな自分を戒めつつ、豊かな感受性を持った大人になりたいと心から思う。