『汲む-Y.Yに-』
茨木 のり子
大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞いの美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました私はどきんとし
そして深く悟りました大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても 咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと・・・・・・・・
わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです
この詩を読んで、強ばった心がフッと軽くなる思いがした。ふんわりと包み込まれたような、何とも言えない安堵感だ。
些細なことに敏感に反応し、傷ついてしまう弱い心…
強くなりたい、もっと。もっと。そう思っていたが、そんな弱い自分もいい、ありのままでいいのだと受け入れてもらえたようで、何だか嬉しくなった。
大人として生きていく上で、ありのままの自分をさらけ出して生きるなど、とてもできない。そんな無防備な状態では、自分も傷つくし、時には誰かを傷つけてしまうだろう。
みな、様々なシーンで仮面をかぶって生きている。仕事、家族、友人、恋人…それぞれに見せている顔は、少なからず違うのではないだろうか。
何通りもの仮面を使い分けられる。。。。これこそが『大人になる』ということなのかもしれない。
仮面を脱ぎ捨て、素顔のままでいられる瞬間。押し殺していた自分を解放できる場所。ありのままの自分を表現できる手段が、私の場合はピアノであってほしい。自分の一生をかけて、いつか成し遂げたいと思っている。
そして、堕落した人間にならないように、その震える弱いアンテナを、いつまでも持ち続けていたいと願う。