出産への道 Part 2

もう疲れたので分娩室へ戻ることにした。その後は助産師さんが腰や足首のツボ(たぶんお産が進むツボ)をグイグイ押したり、足湯をしたり、また歩いたり、しゃがんでいきむなど、お産が進むための民間療法的なことをひたすら続けた。度々、眉間の力を抜くよう指摘された。

お昼過ぎ、何とか子宮口は6cmまで開いた。「ここまでくれば、後は早いですよ!」という助産師さんの言葉に少し安堵した。午後1時頃、母が面会に来て「あと少しだから頑張ってね。外で待ってるから」と励ましてくれた。

しばらくして、背の高い男の先生が助産師さんと共にやってきた。

先生:「ハイ、内診しますよ~」と軽い口調で手をグッと入れられた。その内診が、、、、想像を絶する痛み!!!!太くて長い指で、子宮の奥を上方向にグイグイえぐる様に刺激され、飛び上がるほどの激痛が電流のように全身を走った。

「いたぁああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーい!!!!」

それはまさに、『阿鼻叫喚』だった。

「これで少しは進むと思いますから」と一言、先生はさっさと部屋を出て行った。

何だ、今の!?一体、私に何をした!?

あまりの出来事にショックと痛みでボロボロ泣いている私に、助産師さんは「痛かった?でも、お産を進めるために、してくれたことだから…」と一生懸命フォローしていた。分かってる、そんなことは分かっているけど、もう肉体的にも精神的にも限界ギリギリ、ボロ雑巾のような今の私に、これ以上何が出来るというのか!?

もう本当に無理、今回は産めない、私はこのまま死ぬんじゃないかと、遠のく意識の中で何度思ったことだろう。なぜか頭の中では、グラナドス作曲/組曲『ゴイェスカス』〜愛と死〜という曲がグルグル回っていた。(BGM にして読んでいただくと、より一層、臨場感が増します。)


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出産への道 Part 1

まさか入院になるとは思わず、何も食べずに来てしまった。深夜で売店も閉まっている。陣痛の合間に自動販売機で飲み物を二本買って、喉を潤す程度しか栄養補給ができない。身体を丸めて一晩中、陣痛に苦しみ耐えるしかなかった。

別の部屋でお産が始まっているようで、どこからか、すさまじい叫び声が聞こえてきた。先生や助産師さんたちの「がんばって!!もうすぐ赤ちゃんに会えますから!!」という励ましと、妊婦さんの獣のようないきみ声とが混じって臨場感たっぷりのBGM。やがて、赤ちゃんの泣き声が聞こえ、無事、出産した様子。

「いいなー、私も早く産みたいよ。」心の中で、つぶやいた。

そんな私の願いも空しく、途中何度か助産師さんが内診をするが、一向に子宮口は開かない。お産が進むように、浣腸までしたというのに、まるで効果なし。

私、経産婦なのに、おかしいな?なんだか悪い予感がする…。
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突然の入院 〜3/3(水)夜 〜

「その日」は突然やってきた。まさか、こんなに早く「その日」を迎えることになるとは、夢にも思っていなかった。。。

2月終わりから、陣痛らしき腹痛が時折あって、横にならざるを得ない事が増えた。いつ腹痛に襲われるか分からないので、レッスンは綱渡り状態だった。いつも以上に硬い音に敏感になり、聴いていてイライラするばかりで、直す気力すら起こらない。もう他人の世話をしてる余裕はないのに、この後に及んで生徒や友人が頼み事をしてきたりで、ホトホト疲れ果てていた。

一日も早く休みたかったが、先生方との重要な話し合いや、確定申告や保育園に提出する書類など、どうしてもやらなければならない用事が残っていた。ここで倒れるわけにはいかない。自分の身体にムチを打ちつつ、最低限やるべき事は何とか3/2で全て終えることができて、ひとまずホッとしていた。

そして迎えた3/3(水)ひな祭り。朝、生徒からの確認メールに答えて予定通りレッスンするつもりが、娘が急に「耳が痛いから保育園行けない」と言い出した。ひな祭り集会を楽しみにしていた娘が休むと言うくらいだから、よほど痛いのだろう。また中耳炎になったのか。急遽、生徒をキャンセルしようと連絡したが、どうしても朝一の生徒だけがつかまらない。電話をしてもメールを出してもなしのつぶて。もう向かってしまっているのだろう。こういう日に限って、主人は泊まりで留守。かかりつけの耳鼻科は木曜日が休みなので、今日連れていくしかない。イライラはピークに達していたが、もう仕方ないので娘をレッスン中待たせて、午後から耳鼻科へ連れていった。

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