どれだけ時間が経ったのだろう。うつろな眼差しで壁掛け時計を見上げると、午前10時近くになっていた。昨夜から今まで、ずっとこの状態だ。あいかわらず進展は見られない。
それどころか、陣痛の間隔が開いてきている。昨晩、一睡もしていないため、気付くとウトウトしている。・・・要するに、睡眠を取れている=陣痛がない ということだ。もうどうしようもない。
ただ、今までは朝になると嘘のように陣痛が引いてしまっていたが、今日はまだ陣痛と言える痛みが襲ってくる。それだけが唯一の救いだ。
しばらくすると、若干陣痛が強くなってきた。今までと違い、確実にいきみたくなってきている。「まだいきんじゃダメですよ、いきむのは子宮口が全開大になってからです。呼吸法でいきみを逃してください。」と、無茶な要求をしてくる。
「鼻からゆっくり息を吸って、口からゆっくり息を吐き出してください、スーーーー、ハーーーー」
という具合に呼吸法を教えられ、言う通りにいきみを逃す。ちなみに、全開大とは、子宮口が10cm開いた状態のことを言う。この時点で私の子宮口は、3.5cmしか開いていなかった。トイレに行きたくなって、車椅子で目の前にあるトイレまで移動する。用を足しながらも陣痛は襲ってくる。痛みが和らぐまではトイレでうずくまったまま動けない。
ようやく部屋に戻り、再び機械をお腹につける。ところが、学生さんがこの機械を着けようとしても、うまくお腹にフィットせず、赤ちゃんの心拍グラフは乱れまくってしまう。何度も着け直し、たまに慣れた助産師さんが着け直してくれてもしばらくすると再びずれて、なかなかきれいな波形をとらえることができない。
もう何時間もこの機械を着けられて、しかもグラフがまともに取れず、ゴチャゴチャモタモタしている助産師さんや学生さんに、さすがの私も苛立ちを隠せなくなっていた。
「あの、この機械、なんで着けてるんですか?まだ外せないんですか?」と思わず聞いてしまった。「陣痛の強さと、赤ちゃんが元気かどうかをチェックしながらお産の進み具合を見ているので・・・」と、助産師さんは申し訳なさそうに言った。
嫌〜な重い空気が漂っていた。どんよりした雰囲気の中、昼食が運ばれて来た。ああ、もう正午なんだ・・・。すでに時間の感覚はマヒしている。
「少し食べませんか?」と心配そうに助産師さんは私の顔を覗き込んだ。私だってお腹が空いてるし食べたいけど、今の私に煮魚定食は重いよ・・・。
「朝のパンと牛乳だけでもいかがですか」と言うので、しぶしぶ朝のパンをぼそぼそ食べ始めた。ぬるくなった牛乳でぱさぱさしたパンをやっとの思いで流し込み、再び分娩台に横になった。
午後1時半。母と夫が面会に来てくれた。息も絶え絶えの私の様子に二人とも少なからず驚いているように見えた。陣痛で息が荒くなると、すかさず学生さんが腰をさする。その様子を見ていた夫は、「どうさすればいいんですか」と学生さんに聞き、私の呼吸が荒くなると、いつの間にか夫が代わりに腰をさするようになっていた。会話もままならない状態で数時間が経過した。
しばらくして助産師さんがやって来た。病室が空いたので、荷物をLSDから移動したいと言う。やはり二人部屋とのこと。助産師さんに荷物の移動を任せて、母と夫は私のそばについていてくれた。特に夫は私の腰をさすったり、呼吸法の誘導を学生さんとしてくれていた。確実に陣痛の間隔が狭くなっている。それに伴い、いきみたい感じが強くなってきた。
内診をしてみると、子宮口の状態はほとんど変わっていないのに、赤ちゃんはどんどん降りてきている。そのため、いきみが強くなってしまうようだ。股の間に物が挟まって、つっかかっている感じがはっきり分かる。いきんではいけないのは分かっているが、いきまずにはいられない。そのつど学生さんが「鼻からゆっくり息を吸って・・・ゆっくり口から吐くんですよ、スーーーーーー、ハーーーーーー・・・」と誘導してくれ、なんとか真似していきみを逃そうと努力するが、もはやいきみを我慢しきれない状態になっていた。
陣痛の痛みそのものよりも、いきみたいのを我慢する辛さ!!!!!
・・・これこそが、出産の最も過酷で苦しいところなのだと、ここにきてようやく分かった。