「お部屋の準備ができたので、気分転換に病室でご家族と過ごされてはいかがですか?少し動いた方が子宮口も開きやすいですから、できれば院内を歩いてみてください」
助産師さんから提案があり、私はその指示に従うことにした。
確かに、この部屋でじっとしているのは精神的にも辛い。これ以上ここにいても、何の進展もないように感じられた。
学生さんの疲労もピークに達していた。陣痛の合間、ふと学生さんを見ると、疲れた表情でウトウト眠っていた。それでも呼吸が乱れたのを察知すると、すかさず腰をさすってくれる。彼女の献身的なサポートのおかげで本当に救われた。辛いのは私だけではないのだ。。。。
彼女を休ませてあげるためにも、この場から離れた方がいい。母と夫に支えられ、何度も立ち止まりながらやっとの思いで病室に到着した。
部屋にはすでに出産を終えた産婦さんが入っていた。私が昨夜泊まっていた LSD で立ち会い出産を終えたばかりのようで、ご家族みんなで無事出産を終えた事を喜んでいた。産婦さんも元気そうに話している。
そんな平和な会話で盛り上がる隣の家族とは対照的に、カーテン越しのベッドでは、陣痛によるいきみを逃すのに必死な私と、それを見守る母と夫が張りつめた空気の中、息を殺していた。この時、私の苦しみはピークに達していた。
ベッドに横たわり、うずくまったまま動けない。院内を歩くなんてとてもできなかった。陣痛は3分おきにやってくる。夫が律儀に間隔を計っていたのだ。
陣痛が襲うたび
「!!!!スーーーッッッッッハーーーーーーーッッッッ。。。。。ウウッ、だめ!!いきんじゃうぅぅっ!!!!!」
獣のような荒い呼吸と絞り出すようなうめき声をおさえられず、ベッドの上で悶え続けていた。
そのうち、鼻から息を吸う余裕もなくなり、口から息を吸ってしまうようになる。すると過呼吸により長く息を吐き出すことができず、呼吸困難に陥り、いよいよいきみを押さえる事ができなくなって、力を入れてしまう事の方が多くなってきた。
その都度、夫が呼吸を誘導し、腰をさすってくれた。今思えば、夫も長時間腰をさすって、さぞ疲れたことだろう。意外なほどに献身的な夫のサポートに感動すら覚える。
そんな状態が数時間続いただろうか。午後6時、夕食が運ばれて来た。何を食べたかは憶えていない。ただ、やはり少しでも食べておいた方がいいということで、母に手伝ってもらいながら少しだけ口に入れた。
食事を終えて再びいきみと闘っていると、昼間とは違う助産師さんがやってきた。
「どうですか?かなり辛そうだね」笑顔で声を掛けてきた。
「今、3分間隔で陣痛がきています。かなりいきみたいようです」と夫が説明した。
「じゃあ、内診してみようか」と言って、その助産師さんは私の中に指をグッと入れた。
「・・・あ、note2さん、子宮口8cmまで開いてますよ。頑張りましたね〜!」
「ホントぉ!?やったーーーーっ♪」思わず叫んで万歳までしてしまった。飛び上がるほど嬉しかった。今までの苦しみが報われた瞬間だった。
「それじゃ、分娩室に移りましょうか」
ううう。。。いよいよ、今度こそ本当にお産のための分娩台に上がれるのね!!!これからが本番だ。暗くて深いトンネルの先に光が差し込んで来たように思えた。もう折り返し地点。ゴールは手の届くところにある・・・・そんな希望が私の中に生まれた。
「もう何でもやってやる!!!絶対、産んでみせる!!!」今までとは一転、やる気に満ち満ちた自分がいた。