先日、長女が耳鼻科検診の結果を持ち帰ってきた。用紙には「耳垢が溜まっていて鼓膜が見えません。耳鼻科を受診してください」という内容が書かれていた。驚いて、早速長女の耳の穴の中を覗いてみた。我が家の耳かきは、耳かき部分がライトになっていて、耳垢が良く見える。なるほど、確かに耳垢で穴がふさがって見えない。入り口付近の耳垢をかき出すと、ごっそり大きな耳垢が出るわ出るわ。しかし、奥深くに耳の穴を完全に塞いでいる耳垢の膜だけは取れなかった。これ以上、耳かきを侵入させたら、めちゃくちゃ痛がるに決まっている。諦めて、学童帰りの夕方、長女を耳鼻科に連れていった。
初めて行った近所の耳鼻科の先生は、有名な先生で、評判の良い病院らしい。診察室に入ると、そこにはやさしそうなおじいちゃん先生が座っていた。長女が椅子に座ると、さっそく耳の中を見ながら細いピンセットで処置をしたのかしないのか解らない段階で「お母さん、耳かきしてくれたでしょう?きれいですね。大丈夫、プールにも入れるからね」と言って、用紙にサインをして早々に終わった。
そして唐突に先生は語り始めた。「日本人の耳垢は、サラサラして乾いてるの。だから放っておいても耳が聞こえなくなることもないし、病気になることもないから、耳かきなんかしなくていいからね。」
そして話は続く。「医学書を書いたのは西洋人の偉い学者。西洋人の耳あかは、湿っていてベタベタしていて中耳炎の原因になったり、飛行機なんかで気圧が変わると耳が痛くなったりするんですよ。外国の主な交通手段は、飛行機かバスなの。バスでも、あっちは山道が多くて起伏が激しいから、上り下りで気圧の影響を受けるんで、偉い先生が医学書に「耳垢を掃除するべし」と書いた。日本は西洋人が書いた医学書で勉強してるから、間違った情報がまかり通っているのだけど、それは日本人には当てはまらないから。耳垢が溜まっているせいで耳の聞こえが悪くなったり、病気になるなんてことはありません。年に一度、学校の検診で通知が来たら、こうして医者に診せればいいだけ。耳かきをしすぎると、刺激することで逆に耳垢を作るから、する必要ありません。」…どうやら、長女が人の話を聞いていないのは、残念ながら耳垢のせいではなく、やはり彼女の性格だったようだ。
そして話は長女に矛先を変える。会話の流れで、長女が「わたし、わすれっぽいから」と言ったところから、新たな話が始まった。
「忘れていいんだよ。忘れないと、脳がいっぱいになっちゃって、新しいことを憶えられないんだ。脳はね、ものを溜め込むところじゃなくて、考えるところなんだよ。今あなたがしている学校の勉強はね、単なる暗記なの。憶えた事を使って、何かを生み出したり、人のために使ったりして、外へ出した時、初めて”知識”になるんだ。そうなると勉強が面白くなるんだよ。先生の場合は、患者さんを治してあげられたときに、勉強してきたことが活きて心に刻まれる。頭で憶えたことはすぐ忘れちゃうけど、心で憶えたことは、絶対に忘れないんだよ。わかる?」と、長女の手を取り、まっすぐ見つめながら、やさしく語りかける。
長女も先生をじっと見つめ返し、「うん、わかる」と頷いた。
思いがけない展開だったけど、真理を説く先生の言葉ひとつひとつに、私が感動して込み上げてくるものを感じた。
その後、なぜかアテネオリンピックのドーピングの話題になり、当時先生が日本の医師団としてご活躍だったのか、その話がしばらく続いた。
ちょっと話の長い先生だったけど、面白くて、良い先生だった。こういうの苦手な人もいるかもしれないけど、私は大好きだ。またいつか、先生の話を聞いてみたい。
記事を読み、感動しました。
人としても医師としても素晴らしい先生ですね。
「お母さん、耳かきしてくれたでしょう?きれいですね。」も、耳かきしたことについて咎めず、とても優しい言い方だと思います。
小さな子に対しても、優しく易しく、とても大切な真理を語ってくださる先生。
通りすがりですし、昔の記事ですが、思わず、コメントしてしまいました。
>通りすがり さん
コメントをありがとうございます!この記事へコメントいただけると思ってもみなかったので、とても嬉しく思っています。この先生のような、人間的にも医師としても魅力的な方とは、なかなかお目にかかることはできません。耳の具合が悪くなくても、たまに通ってお話だけでも伺いたいくらいです。なんというか…心が洗われるというか、心が元気になるというか。こんな歳の重ね方ができたらと思います。