長女の時はどうだっただろう。思い出そうとするが、長女はいつの間にかパンツになってたという記憶しかない。こんなに苦労しなかったことだけは確かだ。トイレにも抵抗なく座ったし、保育園でいつの間にか出来るようになっていた、という感じだ。
お姉ちゃんが「ほら、こうやってするんだよ。」とトイレで用を足している様子を見せても、次女は「それが何か?」とでも言わんばかりの無表情で、プイッと出て行ってしまう。
次女はトイレでおしっこをすることに抵抗があるらしく、明らかにおしっこ行きたいのが分かるようなしぐさをしているにもかかわらず、「でない!」と拒否して、限界まで我慢する日々が続くようになった。
先生が、かたくなに我慢を続ける次女を見て「このままでは膀胱炎になってしまうから」と心配して、いったんオムツに戻すことにした。「いつまでもオムツしてる子はいないから大丈夫ですよ!時が来るのを待ちましょう♪」という開き直りのスタンスになった。なかなか進まないトイレトレーニングに悶々としていた私は、「いつまでもオムツしてる子はいない」この楽観的な言葉に少しだけ救われた。
そんなこんなで数ヶ月が過ぎたころ、見かねた母が今更ながら「おまる」を買ってきた。
母は私が子どもの頃、スパルタ教育でオムツを1歳前に外した実績がある。
「もうあとは母親のやる気と根気にかかってるんだよ!」という力強い助言に背中を押され、家でも本気でオムツ外しに取り組んでみた。
いつでも用を足せるように、テレビが見える場所におまるを置き、座らせておしっこをするまで付き合った。いやがる次女との戦い。数十分後、ついにシャーッとおしっこを出す音が…!
私の粘り勝ちだった。母親の気迫があれば出来るようになるのかもしれない。子どものうちは強制執行も必要だな。一回成功しただけなのに、すっかり気を良くした私はやる気満々だった。
しかしその後、おまるに何度か座ってくれたが、結局成功したのは2回ほど。出ない、と立ち上がり泣き叫ぶことが増えて、親の気迫も空回り。おまるは残念ながら長続きしなかった。
母に報告すると、「もういっそ、お風呂でおしっこさせてみたら?」ということで、まずはオムツ以外の場所で自ら排尿することを憶えさせることから始めることにした。
GWに実家へ遊びに行ったとき試してみたら、お風呂場に誘うと嫌がらずにおしっこしていた。自分で出す感覚は掴めているので、あとは本人のやる気次第だと母は言った。
自宅に帰ってからも、しばらくはお風呂でおしっこさせた。トイレにも誘っていたが、無理強いはしないように努めた。
そして5/11。その日は大学での特別講義で疲れ果て、反省ばかりでテンションどん底の状態で保育園に迎えに行くと、「Sちゃん、今日は毎回トイレでおしっこ出ました!」と思いがけなく嬉しい報告があった。
「今日は嫌がらずに自分からトイレに行ったんですよ。失敗なしです!すごいです!^^」
きっと、次女の中で確かに何かが繋がったのだ。理屈では説明できない何かが、次女の中で起こったのだとしか説明がつかない。これが成長というものなのだろう。
その日を境に、自分から「おしっこー」「うんちー」と教えてトイレで用を足すようになった。ほとんど失敗しない。3歳7ヶ月の今では、お昼寝もパンツで出来るようになり、夜もたまにパンツで眠るようになった。オムツをしていても夜中起きだして「おしっこ」と教えるので、もう夜も完全にパンツで大丈夫そうだ。オムツ卒業も間近だ。いやーオムツ買わなくてすむのはラクチンだな。買いに行くのも重くて面倒だったし、経済的にも助かる。
知人の子は、年長さんの夏休みまで、なぜかウンチはトレイで出せずにオムツでしていたそうだ。
それが夏休みに一人でおばあちゃんの家に泊まったときに、「お母さんが迎えにくるまでにトイレでウンチできるようにする。」と本人が決めて、お母さんが迎えに来たときには、見事オムツはずれが完了したという。
やる気になればできるのだが、本人に何かこだわりがある場合、その壁を越える時期まで周りはそれを責めずに見守り、乗り越えられるようきっかけを作り、手助けをしながら待つ。
何にせよ、子育てにはこの姿勢が大切なのかな、と思った。