4歳児の自立 〜 Part 3 〜

翌日、娘はまったく気にもしない様子で、いつも通り笑顔で過ごしていたが、私はまだショックを引きずっていた。「子どもの言う事にいちいち落ち込むなよ」と呆れたように主人は言った。分かっている。単なる子どもの戯言だ。分かっていても、なんでこんなに落ち込んでいるのか、自分でもよく分からない。妊娠中で精神状態が不安定だからだろうか。

一日が経ち、私自身少し落ち着きを取り戻し始めた。そうして、あれこれ色々考えた。私の子どもの頃は、どうだっただろう?母はどんな想いで私たちを育てていたのだろう???

思い起こせば、私自身も子どもの頃は自分の家が嫌だった。両親はとても厳しく、叱られて泣いていた記憶ばかりが鮮明に残っている。特に母は鬼のように怖く、毎日好きでもないピアノの練習を強いられ、体罰など日常茶飯事、泣きながら練習していたものだ。勉強にも厳しく、テストの点が90点以下だとひどく怒られ、その都度泣いた。友達とも満足に遊べず、習い事もピアノ一筋、他は一切させてもらえなかった。本当に窮屈で、自由に見える友達の家がうらやましかった。

そういえば、小学校1年生のときに家出をしたことがある。何かで叱られ、母に「もうお前なんか出て行け!」とかなんとか言われたのだろう。本気で「出て行ってやる!」と思い立ち、赤いリュックに牛乳やパンなどの食料を詰め込み、護身用におもちゃのバットを持って、一人こっそり家を抜け出したのだ。

どこへ向かったかといえば、近所の友達の家だ。そこはまだまだ小学1年生、やることが甘い。当然、友達のお母さんが家に電話をし、しばらくして父が迎えに来た。歩いて家に帰る途中、「お母さんも心配してたんだから、ちゃんと謝りなさい」と優しく言われ、無言で頷いたのは憶えている。家に帰って、おずおずと謝ると、母は仏頂面をしながらも怒ることはなく「ご飯食べなさい。」と一言だけ言った。

娘の一件で、そんな記憶が甦ってきた。娘の場合、まだ何も習わせていないし、そこまで厳しくしているつもりもない。むしろ娘にはナメられているくらいなのに、腑に落ちないところもあるのだが…。

幼少時代のことを思い出したおかげで、だんだん冷静になってきた。子どもにとっては、親はうるさくて嫌なもので当然なのかな、と思えてきた。子どもにとっては、口うるさくて厳しい親よりも、いつも可愛がって、甘やかしてくれる人を好きに決まっている。親だからこそ、いつまでも子どもにとっての一番大好きな存在ではいられないのだ。娘の場合、その時期が少し早いだけなのかもしれない。

そう思ったら、何だか吹っ切れた。報われなくても、親というのはそういうものなのだ。私の場合も親が厳しかったおかげで、今の自分がある。今となっては、ピアノを続けてきて本当に良かったし、両親には心底感謝している。『無償の愛』というのは、こういうことなのかなと、漠然と分かったような気がする。

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娘はいまだにFさんの家の子になりたがっているが、今日はどうしたことか「ママのことが一番だーいすき♡」そして「Fさんも、一番だーいすき♡」と笑顔で言った。

なんだか、落ち込んでいた自分がばかばかしくなってきて、「ママも○○ちゃんのこと、一番大好きだよ。」と素直に抱きしめた。そして「パパもママもFさんも、みんな○○ちゃんのことが大好きなんだよ、よかったね。」と付け加えた。すると娘は「そうだね、みんな○○ちゃんのこと、好きだよね!」と満足そうに笑った。

…娘よ、君は本当に幸せ者だね。まったくもう!(笑)

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