深夜3時過ぎ。母と夫はひとまず家に帰った。私は分娩室から病室へ移動することになった。
ベッドから起き上がり、立ち上がろうとすると、体が言う事をきかない。頭と気持ちはしっかりしているのに、意に反してふらついてしまうのだ。全身の筋肉が疲労困憊し、思うように機能しなくなっていた。全ての力を使い果たしたことに初めて気付いた。
点滴を吊るすバーを転がしながら、深夜の静まり返った病棟をゆっくり、ゆっくりと歩く。
さっきまでの命がけの奮闘が嘘のようだ。
病室に入り、自分のベッドに腰掛た。まだ麻酔が効いているとはいえ、会陰が少々痛む。
付き添いの助産師さんが円座を貸してくれた。これは快適!当分、円座は手放せなくなりそうだ。
助産師さんが部屋を出て行ったあと、しばらくボーッとしていた。もうそれほど空腹感はなくなっていたが、あんぱんを半分食べた。
窓から見た空は白みかけていた。
ようやく終わったんだ・・・。しかし未だピンと来ない。でも、私のお腹はぺったんこになっているから(ぶよぶよしているけど)、これは現実なのだろう。
分娩の興奮は冷めず、鈍い体の感覚とはうらはらに頭はスッキリ冴えてしまい、まったく眠くない。しかし、無自覚でも体は疲れているはずなので、とりあえずベッドに入り、目を閉じた。。。
「note2さん」
呼びかける声で目を覚ますと、外はすっかり明るくなっていた。時計を見ると朝8時。
「ご気分はいかがですか?朝食ですよ」
もう朝か・・・目の前には朝食が並んだお盆が置かれている。
ロールパン2個、マーガリンにジャム、マカロニサラダ、牛乳、スライスチーズ、オレンジ2切・・・シンプルなメニューだ。
決して美味しくはなかったが、空腹だったので全てたいらげた。
プラスチックの皿に盛られたこの手のメニューは、高校時代の寮の食事や教育実習中の学校給食を思い出させる。
初めは口に合わなくても、毎日食べていればじきに味にも慣れ、美味しく感じられるようになるのが不思議だ。
・・・・所詮、私はグルメではない。
食事を終え、しばらくゴロゴロしていると、助産師さんがやってきて、母子手帳と入院中の注意事項や、産後講習用の資料、臍帯の入った木箱を持って来た。
助産師:「じきにへその緒が取れると思いますが、気をつけていないといつ取れたか分からず、失くしてしまうことがありますから注意して見ていてください。取れたら臍帯と一緒にこの箱に入れて保管してください」
臍帯はまだ乾いておらず、木箱のふたは半分開けられていた。
「赤ちゃんの検査の結果、今は特に異常は見られないので同室できますが、どうしますか?疲れていたら、こちらで預かっていますけど・・・」と助産師さんは気遣ってくれたが、動けないわけではないし、早く赤ちゃんを間近で見たかったので、早速連れてきてもらうことにした。
キャスター付きの透明なケース型ベッド(コットという)に入れられて、我が子は私の元にやってきた。コットの下にはラックが付いており、紙オムツ、おしりナップ、ゴミ箱、授乳用まくらが入っていた。
助産師さんはいきなり「おっぱいあげてみましょう」と言い、赤ちゃんを私のベッドに寝かせ、横になったまま授乳を開始した。添い寝状態での授乳は、初心者の私には難しく、はじめはとまどったが、なんとか赤ちゃんは乳首を吸い始めた。
「あら、上手ね!」と助産師さんは吸い方を褒めた。出産直後の授乳で我が子も学習したのだろう。
我が子のことを褒められて、私の方がすっかりいい気分になっていた。すでに親バカである。
・・・こんな風に悠長でいられたのは、この日の昼間だけだった。
今まさに、授乳地獄の幕は上がろうとしていた。