「そろそろ赤ちゃんのものを買いそろえたほうがいいんじゃない?一緒に買いに行ってあげる」と言って母が上京してきた。「わざわざいいのに」と内心思ったが、きっと母は様子も見に来たいのだろう。
赤ちゃんのものを揃えると言っても、実際にはほとんど買うこともなさそうである。義妹が使わなくなった新生児用のふとんや肌着、服、ベビーカーや哺乳瓶など、必要なものほとんどを譲ってくれるからだ。赤ちゃんのものよりも私自身のものが必要だったので、水天宮のマタニティ専門店に行くため、待ち合わせを水天宮駅ホームにした。
母に会うのは正月ぶりだ。半蔵門線の車中、ぼんやり座っていた。ふと扉の方に目をやると、そこにはなんと母が立っていた。「一本前の電車にのり遅れちゃって、この電車に乗ったの」なんという偶然だろう。
午前中、母は祖母の墓参りに行って来たという。さては祖母の仕業か?
ホームを出てしばらく歩いていると、母はごぞごぞ何かを探し始めた。「あれ?ない。どこやったんだろ?」
母は切符を探していた。
「財布の中は?」
「ない、っていうか絶対入れないもん」
・・・分かるよ、律儀に財布になんてしまわないよね。やっぱり親子だな。ごそごそかばんの中身をかき回している母の姿を眺めながら、「私と同じだ・・・」としみじみ思った。私もよく物をなくして夫に軽蔑されるが、これはまぎれもなく母譲りの性格だ。やはり娘は母に影響されるものなのだということを痛感した。
雑談しながら歩いていたら、いつの間にか地上に出ていた。「あれ!改札は?」一体どうなっているんだ?
なにはともあれ、うまく地上に出られたのはラッキーだ。まずは遅めのランチをしにホテルへ向かった。
桜が満開の気持ちのよい日だった。花吹雪が舞う歩道を母と歩く。 花粉症のせいで花見に行けない私にとって、今年初めての桜だった。じつに美しい・・・。
桜を愛でながら水天宮の前を通ると、妊婦さんでにぎわっていた。平日というのに夫婦で来ている人もいた。おそらく5ヶ月に入った頃であろう、お腹の少し目立ってきた妊婦さんたちを横目に「私、結局腹帯もせずに7ヶ月になっちゃったよ」と、苦笑いしながら通り過ぎた。
ホテルに着いて、レストランを探していると、本日の催し物の欄に「戌の日特別ランチビュッフェ」とある。なるほど、それであんなに人が多かったのか。私たち、何も知らずにフラリと来ただけだが、またしても偶然。今日は素敵な偶然が多い日だ。
レストランで母は「参考にと思って」と、私を生んだときの母子手帳を見せてくれた。母の体重は妊娠前+13Kg、私は3,060gだった。「体重制限なんてない時代だったからね。」ちなみに帝王切開になった弟は、3,900gというジャンボベビーだったらしい。今では考えられない数値だ。
母は他にも「子どもが育つ魔法の言葉」という本をくれた。育児の参考にということらしい。それから、「正月に買っておいたのに渡すの忘れてた」と言って、安産のお守りをくれた。
その後、マタニティ専門店で買い物を済ませ、夕方6時ごろ母と別れた。
母がわざわざ東京まで出てこなくてもよかったような買い物だったが、久しぶりの母との食事、買い物はなかなか楽しかった。
夜、一日の出来事を夫に報告した。夫はそんな私たち母娘の様子を聞いて、こう言った。
「お腹の子が娘なら、その子は君の友達になるんだよ。しかも一生のね。」
娘が一生の友・・・なんだかジーンと来る言葉だった。
子どもの頃は母のことを「ヒステリックな鬼ババ」と、あんなに恐れ、疎ましく思っていたのに、今では気心知れた友達。
私と娘が「親子」を越えて「友達」になれる日・・・それは、はるか遠い未来だけど、そんな心地よい親子関係になれるといいね。。。と、母の顔を思い浮かべながら、まだ見ぬ娘に話しかけた。