出産や育児の あんなコト こんなコト

突然の入院 〜3/3(水)夜 〜

「その日」は突然やってきた。まさか、こんなに早く「その日」を迎えることになるとは、夢にも思っていなかった。。。

2月終わりから、陣痛らしき腹痛が時折あって、横にならざるを得ない事が増えた。いつ腹痛に襲われるか分からないので、レッスンは綱渡り状態だった。いつも以上に硬い音に敏感になり、聴いていてイライラするばかりで、直す気力すら起こらない。もう他人の世話をしてる余裕はないのに、この後に及んで生徒や友人が頼み事をしてきたりで、ホトホト疲れ果てていた。

一日も早く休みたかったが、先生方との重要な話し合いや、確定申告や保育園に提出する書類など、どうしてもやらなければならない用事が残っていた。ここで倒れるわけにはいかない。自分の身体にムチを打ちつつ、最低限やるべき事は何とか3/2で全て終えることができて、ひとまずホッとしていた。

そして迎えた3/3(水)ひな祭り。朝、生徒からの確認メールに答えて予定通りレッスンするつもりが、娘が急に「耳が痛いから保育園行けない」と言い出した。ひな祭り集会を楽しみにしていた娘が休むと言うくらいだから、よほど痛いのだろう。また中耳炎になったのか。急遽、生徒をキャンセルしようと連絡したが、どうしても朝一の生徒だけがつかまらない。電話をしてもメールを出してもなしのつぶて。もう向かってしまっているのだろう。こういう日に限って、主人は泊まりで留守。かかりつけの耳鼻科は木曜日が休みなので、今日連れていくしかない。イライラはピークに達していたが、もう仕方ないので娘をレッスン中待たせて、午後から耳鼻科へ連れていった。

待ち時間がかなりあったので、隣の公園で久しぶりに娘と一緒に遊んだ。1時間半ほど待って、ようやく診察が始まったが、意外なことに、どこも悪くないという。「どうしたんだろうね?不思議だねぇ」と先生は言いながら、耳あかの掃除をしてくれた。大きな耳あかが沢山取れて、その場では娘もすっきりした、もう痛くないと言っていた。

しかし帰り道、「まだ耳が痛い」と言い出した。娘の様子に疑問を抱きつつ、タクシーで家に戻った夕方5時過ぎ、緊張が解けたせいか、突然激しい腹痛に襲われた。もはや話をする余裕すらない。「もうこれ以上は仕事を続けられない」と直感的に判断し、腹痛に耐えながら、先生宛に3月中に予定しているレッスンには伺えない旨と、生徒たちの名前と電話番号、引き継ぎ名簿を取り急ぎファックスした。

午後6時以降、ずっと横になっていた。食事も作ることができない。主人に電話でお惣菜を買ってきてくれるよう頼んだ。

午後8時過ぎ、主人が帰宅した。私はとても食事する余裕などなかった。「そんなに痛いなんて、おかしいね。病院に電話して聞いてみようか」と主人が病院に電話をしてくれた。電話で事情を話すと、「とりあえず入院準備をして病院に来てください」と言われた。予想外の展開にとまどった。入院準備といっても、パジャマ、下着、サンダルくらいしかバッグに入れておらず、細かいものまではまだ何も用意していなかった。仕方なく、思いつくものだけとりあえず詰めた。

玄関を出るとき、娘が歌ったお遊戯の挿入歌のワンフレーズが耳に残った。「♪ここは~地の果て地獄の入り口♬」まるで、これからの自分を暗示しているかのような縁起の悪い歌だ。

夫と娘と三人で大通りまで歩き、タクシーを拾って一人で病院へ向かった。人気のない静かな夜の商店街に佇む主人と娘の姿を、今でもはっきり覚えている。

病院に着いたのは午後9時45分。救急外来で受付をし、診察室に通された。先生は大きな荷物を担いで顔を歪めて立っている私を見て、一人で来たことに驚いた様子だった。早速診察台に乗り、内診と超音波検査が始まった。

先生:「子宮口は 2cm 弱開いてますね。経産婦さんなので、進みが早いと思いますから、このまま入院してください」

まさか本当に入院になるとは…。唖然としたまま助産師さんに付き添われ分娩室に入ると、着替えをして分娩台に横になるよう指示された。

「なんなんだ、この急展開は!!だって、まだ3/3だよ!?予定日は3/24 だというのに!!」。。。頭の中が混乱していたが、とにかく入院する旨を主人と母、同僚の先生方にメールで知らせた。一人の先生から「生徒さんのことは、どうかご心配なく。何かあったら私が引き受けます」との有り難いメールを頂き、涙が出るほど嬉しかった。

「これでようやく、出産に集中できる」と、心の底から安堵した。

妊娠後期,
2010年3月29日

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